セルビアってどこにあるか、ご存じですか?ギリシャの北側、ハンガリーの南側にある内陸の国です。上のマップでいうと、きみどり色の場所。(ただし、セルビアの南部はコソボとの領土問題があるので、Google Mapで見ると点線の境界線があります。)
そのセルビアの首都がベオグラードです。西欧っぽいエリアもあれば、東欧らしさを感じるモスクもあり、探検するには中々おもしろい街ですよ!日本では知名度が低いですが、ぜひ次の旅の目的地候補に入れて欲しいです。
ユーゴスラヴィア博物館 Museum of Yugoslavia
博物館紹介の前に、少し歴史の話をします。
今のセルビアは2006年にできたばかりの新しい国。第二次世界大戦後、現在のセルビアの位置には元々ユーゴスラヴィアという国がありました。面積は今のセルビアよりもずっと大きい国で、その頃の首都もベオグラードでした。
ユーゴスラヴィアには宗教や言葉などが異なる人々が混在していましたが、ティトーという圧倒的リーダーシップを持つおじさんが見事にまとめ上げていたそうです。しかし、ソ連が崩壊して東欧諸国がどんどん民主化され、さらにはティトーが亡くなってしまったこともあり、民族はバラバラに。内戦にまで発展しました。これがユーゴスラヴィア紛争(またはユーゴスラヴィア内戦)で、1990年代に勃発しました。
ユーゴスラヴィア博物館では、ユーゴスラヴィア紛争で撮影された生々しい写真を見学することができます。広島の原爆ドームのような感じだと言うとわかりやすいでしょうか…。個人的には、自分と同い年と思われるような赤ちゃんが亡くなっている姿や、森の中で内戦に苦しみ自殺をした女性の姿が、今でも記憶に残っています。セルビア人目線で展示が用意されている可能性はありますが、ユーゴスラヴィアという国を知りたい方には、ぜひ訪れてみて欲しい博物館です。
期間限定の特別展示もあり、私が訪れたときは、セルビアからドイツへの難民・移民に関する展示が開催されていました。ユーゴスラヴィア紛争で住む場所や仕事を失った人々が、ドイツに渡りどのような教育を受けたか、どのような生活をし始めたかを知ることができました。
NATO軍の空爆跡
ユーゴスラヴィア紛争で最も泥沼化したのが、現在のボスニアヘルツェゴビナのあたりでした(ボスニア内戦)。最も民族が混在していたからです。この内戦を早く終わらせるため、アメリカを中心とする軍事同盟のNATOはセルビアへの空爆を選択しました。
「空爆をすれば多くのセルビア人が被害にあうけれど、空爆をしなければ内戦が延々と続き、セルビアもボスニアヘルツェゴビナも死傷者数が莫大になってしまう。だからNATO軍はベオグラードを空爆した…。」これは「人道的介入」と呼ばれます。
結果的に内戦が終わりましたが、セルビアは大きな傷を負ったわけです。その痛みを忘れないためにも、空爆跡を残しています。大きな建物がボロボロになっている姿を見たとき、空爆の恐ろしさをまざまざと感じました。鉄骨・鉄筋がちぎれて、建物が粉々に破壊される程の威力は想像もつかないですね…。
聖サワ大聖堂 Church of Saint Sava
ベオグラードのランドマーク。ガイドブックの表紙とか、バスの一日券に聖サワ大聖堂の写真が使われていることが多いです。セルビア正教の中心的教会なので、観光客も地元の人もたくさんいました。外見は結構立派で、せっかくベオグラードまで行くなら見ておいた方がいいと思います。(大きい建物なので、遠くからでも見えます。)中は質素な印象でした。
日本とのつながり
最後に、日本とセルビアのつながりについて。
ユーゴスラヴィア紛争によってボロボロになったセルビアに対し、日本は資金援助とバスの寄付を行いました。バスの車体には、セルビア&日本国旗と「DONATION FROM THE PEOPLE OF JAPAN(日本国民からの寄付)」という文言が書かれてあります。
また、カレメグダン公園というところには、日本の泉という鹿威しのような噴水があり、かたわらには「日本国民への感謝の印として」と一言添えられています。ちなみに、この公園ものんびりできて良い場所ですよ!市民の憩いの場って感じです。