Folkingestraatに隠されたユダヤ人の歴史

Folkingestraatはフローニンゲンにあるショッピングストリートの一つ。ここにはかつて、ユダヤ人地区が存在したそうです。しかし、第二次世界大戦中のホロコーストで、ここのユダヤ人コミュニティも壊滅しました…。

今回の記事では、Folkingestraatにある、ユダヤ人を追悼する芸術作品に注目します。

フローニンゲンのユダヤ人の歴史

まずは簡単に歴史を紹介。

フローニンゲンのFolkingestraat周辺にユダヤ人地区ができたのは1744年。そして1756年には最初のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)が建設されました。当時ユダヤ人はオランダ社会に溶け込み、社会の一員として共存していました。

状況が一変したのは、ナチスがオランダを占領してから。オランダに住むユダヤ人も迫害され始めました。フローニンゲンに2,800人ほどいたユダヤ人のほとんどが強制収容所に送られ、殺害されたそうです。

Folkingestraatの5つの作品

「追悼記念碑を作成しよう」というプロジェクトが始動したのは、戦後50年以上経った1997年のこと。それまでフローニンゲンのユダヤ人の歴史は忘れ去られていました。

プロジェクトでは5人のアーティストが選ばれ、5つの追悼作品が設置されました。素通りしてしまう程さりげないですが、今でもあります。

とても見つけづらいものもあります…

フローニンゲンにお越しの際は、ぜひ探してみてください。

Portal

1つ目はこちらのドア
何かが足りないことにお気づきでしょうか…?

Portal

正解はドアノブです。
このドアは開くことができません。ホロコーストにより止まり、二度と再開することのなかったFolkingestraatのユダヤ人の歴史を、この閉ざされたドアは暗示しています。

Galgal Hamazalot

2つ目は地面に埋まっているです。全部で11こあります。

Galgal Hamazalot

Folkingestraatを端から端まで歩くと、欠けていた月が徐々に満ち、そしてまた欠けていきます。作者はこの月の満ち欠けで、歴史と未来が作られるサイクルを表しています。
月が11こである理由は、ユダヤ人の使うヘブライ語に関係しているのだとか。ヘブライ語では、「月」という言葉は「11」という数字と結びついているそうです。

Without Title

3つ目はこちらの白黒写真
20世紀初めのFolkingestraatを写しています。まだユダヤ人コミュニティが迫害される前の頃ですね。この写真が撮られた場所に設置されているので、現在の姿と見比べることができます。

The Pre-cut Showpiece

4つ目はの脚をかたどった作品。
この作品の両隣にあるお店は、かつて精肉店でした。フローニンゲンにいたユダヤ人の多くは精肉店を営んでいたそうです。

Also Here

最後は壁に刻まれた文字です。
見えづらいですが、(weggehaald)と書かれています。英訳はtaken away。作者はこの作品によって、消えてしまったユダヤ人コミュニティの空虚さを表しました。

この作品は、最も見逃しやすい場所にあります。フローニンゲンのユダヤ人コミュニティが、人々の視界に入らない(注目されない)ことを強調するため、あえてそんな場所に作られたのだとか。

まとめ

Folkingestraatの5つの追悼作品、どれもさりげないですが、見る人によっていろんな感じ方があるんだろうなと思います。私にとっては、アウシュヴィッツ強制収容所などのいわゆる負の遺産とは、感じ方が違いました。

また、Folkingestraatには他にも、シナゴーグ(ユダヤ教の教会)「つまずきの石」があります。

つまずきの石とは、道路に埋め込まれた四角い金属板のこと。ホロコースト犠牲者の名前などが彫られています。元々ドイツで始まったアートプロジェクトですが、いまではオランダだけでなく、ヨーロッパ中に広がっています。

以上、Folkingestraatに隠されたユダヤ人の歴史に関するお話でした。参考資料は以下にまとめています!

参考

illustrations from jp.freepik.com